私事
実は神戸生まれなのです私
小3の時に父が大病を患いまして、父母の故郷鹿児島に引き上げたのであります。
以後自然豊かな鹿児島で育ててもらいました。
田舎でしたので、遊び場は、川や山。
人の声や車の音が届かないところで遊んでました。
聞こえるのは風と山や川の音
この頃の影響で、林道に目覚めたのかなと思っております。
普段、人に感動を与える自然。
しかし、また恐怖も与える自然。
日本は、自然豊かな国ですが同時に災害も多い国であります。
阪神大震災は18歳で就職後住んでいた西宮市で遭遇しました。
結婚して半年でした。
5階建てのマンションの5階で立ってるのはテレビだけ。
冷蔵庫に至っては、私の身長よりはるか上についた形で飛び上がってたことが分かりました。
寝ていたベッドには3つのタンスが倒れ掛かってきており、
ベッドだったおかげで潰されずに済みました。
グチャグチャの部屋の中で、寒さに震えながら嫁と二人で片づけてました。
その後、大阪の嫁の実家へ避難したのですが、
段差のできた武庫川の橋を渡り、遠くから駆け付けてくれた消防車と何度もすれ違いながら
思ったのは「今回は選ばれなかった」でした。
尚且つ、この時はまだ分からなかったのですが地震時嫁のお腹の中にいたらしい長女。
避難先の実家で腹痛の嫁。
これで初めて妊娠が分かり、それでも「子宮外妊娠かも」とか
妊娠後も「前値胎盤」だとかで難儀しましたが、なんと生まれてきてくれて
3歳くらいの時に祖父母が淡路島の野島断層保存館に連れて行ったところ
長女は、怖がって号泣したそうです。
お腹の中で地震の体験を覚えていたのか、不思議な出来事でした。
東日本大震災は、心が痛みました><
そして昨年の熊本地震。
阿蘇は、帰省の度に寄ったり泊まったり。
大好きな場所でありました。
熊本城は、中学の修学旅行で訪れて日本で一番好きな城に。
東北も熊本も、「頑張って」としか言いようがありません。
先日の御岳方面の地震も気になります。
阪神大震災の時、スキーの宿を予約していてキャンセルの電話をしたとき
宿の方に「私たちの王滝村も10年前に地震で壊滅状態でした。ようやくここまで復興したんです
そちらも頑張って下さい!」と励まして頂き涙が出てきました。
「わが胸の 燃ゆる思いに くらぶれば 煙はうすし 桜島山」
鹿児島のシンボル桜島。
同郷の友人は、富士山を見た時、「桜島の方がでっかいわ!」とノタウッタそうで。
しかしながら、日本一好きな山であります。
上記の句は、筑前の勤王の志士「平野國臣」の読んだ句であります。
西郷どんが錦江湾で入水自殺したときに助けたのが平野國臣。
彼は倒幕し天皇を中心に日本を統一するという思想の元
薩摩藩に協力を求めたが叶わず、その時の思いを読んだとのこと。
薩摩の人間が、「桜島の噴煙より私の心の方が燃えてるわ!」と何かを行う時に読んだ句なんだと
勘違いしていた私。
真相が分かった時、ガックシ。
だって、煙薄い桜島は、薩摩藩の事なんだもの><
おまけに読んだ人は福岡の人。
余計にガックシ。
しかし、この平野國臣。
あきらめず、その後も再度薩摩入りし、説得を続けますがまたも叶わず。
倒幕が行われ、維新が達成されたのはその7年後だそうです。
37歳で新選組に処刑されたそうですが、その情熱と行動力は他県の方とはいえ
尊敬するばかりであります。
さて、大きく逸れましたが・・・
小3の時に父が大病を患いまして、父母の故郷鹿児島に引き上げたのであります。
以後自然豊かな鹿児島で育ててもらいました。
田舎でしたので、遊び場は、川や山。
人の声や車の音が届かないところで遊んでました。
聞こえるのは風と山や川の音
この頃の影響で、林道に目覚めたのかなと思っております。
普段、人に感動を与える自然。
しかし、また恐怖も与える自然。
日本は、自然豊かな国ですが同時に災害も多い国であります。
阪神大震災は18歳で就職後住んでいた西宮市で遭遇しました。
結婚して半年でした。
5階建てのマンションの5階で立ってるのはテレビだけ。
冷蔵庫に至っては、私の身長よりはるか上についた形で飛び上がってたことが分かりました。
寝ていたベッドには3つのタンスが倒れ掛かってきており、
ベッドだったおかげで潰されずに済みました。
グチャグチャの部屋の中で、寒さに震えながら嫁と二人で片づけてました。
その後、大阪の嫁の実家へ避難したのですが、
段差のできた武庫川の橋を渡り、遠くから駆け付けてくれた消防車と何度もすれ違いながら
思ったのは「今回は選ばれなかった」でした。
尚且つ、この時はまだ分からなかったのですが地震時嫁のお腹の中にいたらしい長女。
避難先の実家で腹痛の嫁。
これで初めて妊娠が分かり、それでも「子宮外妊娠かも」とか
妊娠後も「前値胎盤」だとかで難儀しましたが、なんと生まれてきてくれて
3歳くらいの時に祖父母が淡路島の野島断層保存館に連れて行ったところ
長女は、怖がって号泣したそうです。
お腹の中で地震の体験を覚えていたのか、不思議な出来事でした。
東日本大震災は、心が痛みました><
そして昨年の熊本地震。
阿蘇は、帰省の度に寄ったり泊まったり。
大好きな場所でありました。
熊本城は、中学の修学旅行で訪れて日本で一番好きな城に。
東北も熊本も、「頑張って」としか言いようがありません。
先日の御岳方面の地震も気になります。
阪神大震災の時、スキーの宿を予約していてキャンセルの電話をしたとき
宿の方に「私たちの王滝村も10年前に地震で壊滅状態でした。ようやくここまで復興したんです
そちらも頑張って下さい!」と励まして頂き涙が出てきました。
「わが胸の 燃ゆる思いに くらぶれば 煙はうすし 桜島山」
鹿児島のシンボル桜島。
同郷の友人は、富士山を見た時、「桜島の方がでっかいわ!」とノタウッタそうで。
しかしながら、日本一好きな山であります。
上記の句は、筑前の勤王の志士「平野國臣」の読んだ句であります。
西郷どんが錦江湾で入水自殺したときに助けたのが平野國臣。
彼は倒幕し天皇を中心に日本を統一するという思想の元
薩摩藩に協力を求めたが叶わず、その時の思いを読んだとのこと。
薩摩の人間が、「桜島の噴煙より私の心の方が燃えてるわ!」と何かを行う時に読んだ句なんだと
勘違いしていた私。
真相が分かった時、ガックシ。
だって、煙薄い桜島は、薩摩藩の事なんだもの><
おまけに読んだ人は福岡の人。
余計にガックシ。
しかし、この平野國臣。
あきらめず、その後も再度薩摩入りし、説得を続けますがまたも叶わず。
倒幕が行われ、維新が達成されたのはその7年後だそうです。
平野国臣:「自らの境遇を決してあきらめない」
37歳で新選組に処刑されたそうですが、その情熱と行動力は他県の方とはいえ
尊敬するばかりであります。
さて、大きく逸れましたが・・・